2026.09.17 コラム
言葉にする
代表の清水です。
私は昔から、「言葉にする」ということに、かなりこだわってきたように思います。
なんとなく「好き」なんとなく「嫌い」なんとなく「引っかかる」なんとなく「興味がある」なんとなく「違和感がある」
そのままでも時間は過ぎるし、生きていけます。
でも私は、その「なんとなく」が、どうも気になります。
なぜ、そう感じるのか。何が違うのか。どうして興味を持ったのか。
その「なんとなく」を、言葉にしたくなります。
前回のコラムで、「掘り下げる」ということについて書きました。
考えてみると、私が掘り下げるのは、最終的にそれを「言葉にしたい」からなのかもしれません。
ぼんやりと感じていたことが、ある言葉にたどり着いた瞬間、
「ああ、自分が感じていたのは、こういうことだったのか」
と、急に輪郭が見えることがあります。
感覚だったものが「理解」に変わる。
あるいは、分かっていたつもりのことが、言葉にしようとすることで、もう一段深く理解できる。
それが、ちょっとした快感なのだと思います。
考えてみれば、「勉強する」ということも、本来そういうことなのかもしれません。
知識をたくさん覚えることだけが勉強ではなくて、分からなかったことが分かるようになる。
ぼんやりしていたものに輪郭ができる。
そして、自分の言葉で説明できるようになる。
そう考えると、私は昔から、言葉にすることでずっと何かを勉強してきたのかもしれません。
AIが身近になったことで「プロンプト」という言葉を、本当によく耳にするようになりました。
AIをうまく使うには、良いプロンプトを書くことが大切だ、とも言われます。
確かに、その通りだと思います。
でも、AIを使っていると、時々面白いことが起きます。
AIが、思った通りの答えを返してくれない。
「ちゃんと指示しなきゃ」と思って、もう一度言葉にしようとする。
そこで、
「じゃあ、自分は本当は何をしてほしいんだ?」
と考える。
すると、
「あれ。自分自身が、まだちゃんと分かっていなかったな」
と気づくことがあります。
AIに伝えるために言葉を探していたはずなのに、いつの間にか、自分の考えを掘り下げている。
これは、とても面白いことだと思っています。
そして、これは別にAIに限った話ではありません。
人と仕事をするときも同じです。
自分が何を考えているのか。何をしてほしいのか。何を大切にしているのか。どこに違和感を感じているのか。
自分自身が分かっていなければ、相手に伝えることもできません。
そう考えると、「プロンプト」というのは、AIだけのものではないのかもしれません。
私たちは昔から、人に何かを伝えるために、言葉を選んできました。
相手にどう伝えれば分かってもらえるのか。どう言えば、自分が見ているものを同じように見てもらえるのか。
AIが登場したことで、むしろ改めて「言葉にする」ということの大切さが見えてきたような気がします。
言葉にする。
言葉にすることで、自分が理解する。
理解したものだからこそ、人にも伝えられる。
そして今は、AIにも伝えられる。
ただ言葉を並べるのではなく、自分が本当に考えていることを、自分なりの言葉にする。
そこまでできて初めて、その言葉に「魂」が入るのかもしれません。
私はこれからも、「なんとなく」をそのままにせず、言葉になるところまで掘り下げていきたいと思っています。
たぶん私は、そうやって何かを理解していくことが、好きなのだと思います。